CALENDAR
Sun Mon Tue Wed Thu Fri Sat
 123456
78910111213
14151617181920
21222324252627
28293031   
<< May 2017 >>
SPONSORED LINKS
SELECTED ENTRIES
RECENT COMMENTS
RECENT TRACKBACK
CATEGORIES
ARCHIVES
CHECK
無料カウンター
TEST
check2
CHECK3
あわせて読みたい
CHECK4
MOBILE
qrcode
LINKS
PROFILE
OTHERS

Higashi Ginza Sweet Life

東銀座は今日も魚そして海の潮の香りがしています。
谷津バラ園

朝6時に目覚め、車を出して浜へ向かう。

波の音を聞きながら読書。

先週から読み続けている幕末期に日本にイギリスからきた植物収集家の紀行。

当時の日本人の暮らしぶりがよく分かる。

浜に向かって座って読んでいたら、鳩たちがぐるぐると唸りながら近寄ってくる。

リラックスできる時間。

 

その後、5年ぶりに谷津バラ園へ。

時は5月。そろそろバラが満開な時期。

ここはこじんまりとしたバラ園だが、美しく整備がされていて、楽しめる。

 

それにしても、日本は季節の植物を楽しめるのがいい。

読みかけの古の書にも様々な植物を愛でながら鑑賞を愉しむ江戸期の人々の姿が描かれている。

素晴らしき気質。

 

開園は9時。すかさずチケット売り場に並び、開園と同時バラ園へ入場し、人がいない写真を撮る。

 

 

 

 

 

香りに包まれながら、回廊のベンチに腰掛けて、本を読む。

優雅で倖せな時間。

人々が微笑みながらバラを愉しみ、その微笑みが優しい空気を生み出し、ゆるやかな時間が流れている。

 

 


マッカートニーというバラが最もいい香りを発していた。

バラの香りを嗅ぐことに、もし回数という制限があったとして、

例えば100人に嗅がれたら、香りが無くなってしまうとしたならば、

なんて神秘的なことだろう。

そんなことをふと考えていた。

 

帰りにパティシエヨコヤマで、谷津ロールと岩シュー、チーズケーキ、

雲ふわわを購入して帰ることにした。

相変わらずこのお店は多くの人で賑わっていた。

 

| | 15:04 | comments(0) | - |
本のメモ ハインリッヒ シュリーマン シュリーマン旅行記 清国・日本

江戸期のドイツの知識人シュリーマン。

博がある人この人の文章は読んでいて気持ちがいいし、知識を得ることの楽しさを感じることができる。

その商才から若くして財をなし、41歳でいっさいの商業活動を停止し、43歳で世界漫遊に旅立つ。

時は1865年江戸末期。ハリスが来航してから9年後。

ちなみに氏がトロイア遺跡を発掘したのはその6年後。

その時代で、氏のような生き方をした人は、そうはいないだろう。

その時代はそう簡単には日本、そして江戸には入れない時期。様々な伝手を使って来日した氏の旅行記。

明晰な頭と眼で簡潔に書かれていて読みやすく、知識欲というもの会得したいと思わせる。

 

以下メモ

・どうしてもしなければならない仕事以外、疲れることは一切しないというのがシナ人気質。

・長城がかつて人間の手で築きあげたもっとも偉大な創造物。

・蒸気船が入港した際、小船がただ一艘近寄ってきた。

それに乗る男二人は、

首から膝まで、赤や青で、龍や虎、獅子、それに男女の神々の入れ墨をしている。

・馬丁、苦力も入れ墨をしている。

・皮膚病、疥癬に罹っている人間が多い。

・日本人は日曜日、安息日を知らない。

・スカーフやハンカチーフを持たず。洟をかむための和紙を持っている。

・清潔な国民。町のいたるところに公衆浴場があり、どんなに貧しい人でも少なくとも日に一度は通っている。

・猫の尻尾が短い、犬がおとなしい。

・浅草寺

民衆の生活の中に真の宗教心は浸透していない。宗教儀式と寺と民衆の娯楽とが奇妙な具合に混じり合っている。

・独楽の曲芸が素晴らしい。

 

惨劇があった東禅寺、麻布善福寺(アメリカ公使宿館)、王子権現、ヒュースケンの墓がある光林寺。

に行ってみよう。

 

やはり、どの旅行者も霊山富士には感嘆をしている。

富士は日本の象徴なのだ。

 

| | 20:14 | comments(0) | - |
本のメモ キャサリンサンソム 東京に暮らす 

1928年から1936年の間の東京に住んだイギリスの夫人による当時の東京の暮らしがよく分かる文章。

欧米文化の波が押し寄せてくるなか、うまく工夫をして折衷しながら慎ましく暮らしている日本人の姿が

描かれている。当時と今の違いは多くあるものの、その姿を見て、私の中にある血が反応し、

自分の中にある遺伝子か何かが頷く。

そして、自分がインドネシアに行ったときのインドネシアの人々に対して同じような目線、

感覚を持っていたことにも気づく。

それは同じアジア人としての同じ血の感覚なのか。

 

以下メモ

・富士山は不思議なくらい軽やかで、まるで天から垂れ下がっているよう。

・日本の魅力の一つは使用人。いつでも主人を慰め、元気づけてくれる。

しかしいちいち指示をし、絶えずほめ、軽い冗談を言ったりして思いやりを示さなくてはならない。

・料理人がいなくなるときの口実。田舎にいる兄弟が病気、父親の墓参りに行かなければいけない。

・日本人は現在沸騰中と一度沸騰させたということを区別しない。緑茶は少し冷ましたお湯でいれる。

・ウーロン茶は日本では高い。

・リプトンは外国のお茶の総称になっている。

・農民の仕事はとても大変なのに彼らは自然と格闘しているようには見えません。

彼らはむしろ、成長をして滅びることを繰り返して永遠に再生し続ける自然界の一員であり、

そしてまたこの循環のあらゆる過程を美しいものとして味わうことができる優れた感受性を

持っている人たち。

・国民の活字熱と、立ち読みを許す寛大な本屋。

・日本人のように相手の気分に左右される国民はいない。日本にいると日本を覆っている湿った空気のせいで

頭の上に何ポンドかよけいな重さをのせているような気がする。

・日本では何をするにしても減速をする必要がある。

・日本人は蜜蜂のごとく働いたかと思うと、ゆっくり休み、また働くという頭の切り替えができるようになる。

・東洋では女性はみんな母親あるいは将来の母親と考えられている。

・お金のあるなしにかかわらず派手にお金を使うことが好き。

・たった一膳の御飯と二三切れのたくわんで何時間も働く。ひとたび旅に出ると絶えず何かを口にする。

・日本は古くからの伝統が国民全体に伝わっている非常に恵まれた国。みんなが何でも買えるというわけでは

ないにせよ、この商品は特定の人しか所有できないという階級差別はない。

・集団の中の日本人が、いかに単純か野蛮であるかがよく分かる。

他人を押しのけて我さきに電車に乗り込もうとする。

・日本人は服装に関しては暑くなった途端に賢明にも、北方系ではなく南方系の祖先の風習に従う。

・日本人は穏やかで口論好きではないし、おまけに住宅環境が悪いので、悪臭やひどい暑さ寒さを

何とも思わない。

・日本人の人生観は年とともに丸くなる。

・日本人はとても早起きで、その分、夜は早く寝ます。

・日本人には落着きがある。人生が彼らの中や傍を流れていく。焦って人生を迎え入れたり、

人生の舵を取るようなことはしない。流れが運んでくるものを受け取るだけ。

・既存の枠にはまりきらない冒険心に富んだ若者には、自由にふるまえる機会がほとんどない。

若者の自殺が多くみられる。

・お寺や神社、日本には古くからの秩序ある極めて美しい世界が存在していて、いつでも立ち帰ることが

できる。

・日本は悪臭が多い。

・日本人は幸せな国民、今日目新しかったものが翌日にはもう当たり前のものになっている。

新旧の思想や習慣を見事に継ぎ合せている。

 

| | 20:01 | comments(0) | - |
本のメモ 小林信彦 萩本欽一 ふたりの笑タイム 名喜劇人たちの横顔・素顔・舞台裏

ゴールデンウィークに本を読みまくろうと思って、アマゾンにて購入したものの、

眼が疲れてあまり読めていない。数ページ読んでうとうと。

また、あまりにも天気が良すぎて、ついつい車を出して外に行ってしまう。

新緑の生命力溢れる輝きに魅了される。

英語授業のリスニングのホームワークも日々行おうと思っていたが、ついつい後回し。

これでは、小学校時代の夏休みの宿題とまったく同じ状況。

成長していない自分に苛立つとともに、何処かで諦観に似た感情も併せ持つ。

達成感、充実感が不足している。まあこれが我人生。

 

以下メモ。

コンビでやるコントの基本パターンはふたつ。「天井」と「先後」。

関西では「先後」ではなく「丸三角」

 

ニッポン無責任時代の主人公にはモデルがいた。

東宝に出入りをしていたインチキな人間。その人結局ハイジャックをして捕まった。

 

谷啓さんの変な言葉

ガチョーン、ビローン、ムヒョー

 

柴又は寅さんの映画が当たってから有名になった。

 

| | 15:03 | comments(0) | - |
いちはら アートXミックス

1日目

 

市原へ。

里山の雰囲気が多い市原。

ちょっと車を走らせただけで、入梅前の太陽に照らされた新緑が美しい。

田んぼには田植えが終わったばかり。まだ背が低い稲。水面に空と雲と新緑が映っている。

そんな光景の中、車を走らせるだけで気分が軽やかになる。

悩んでいることが些細なことであることを、光景が気づかせてくれる。

 

ローカル線の色が濃い小湊鉄道沿いに分散して会場があるいちはらアートXミックスへ。

ゴールデンウイークの真っただ中ということもあり、人が多くでていて、どこの会場も賑わっていた。

車両が短い小湊鉄道にも多くの人が乗っている。

 

まずは里見駅近くの旧里見小学校の会場へ。

 

 

花壇の花が陽に照らされて美しい。

 

 

土のレストラン。

土の匂いを嗅ぐ。

土の匂いは、どこか懐かしい気がする。

確かに歳をとってから、土を弄るといことをまったくしていないことに気付く。

 

 

古い工具をつかったアート。

たこ星人という言葉が気にいった。

 

教室がアートの展示室になっていたり、コーヒーショップになっていたり、

ワークショップを行う場所だったり。

廃校もしくは移転した学校を使うことはいいこと。

小学生はもとより大人たちも集い、学べることは学び舎としての責務を全うしているといえる。

 

教室だから、各部屋には黒板があって、懐かしい文字が並ぶ。

 

 

小学校時代はなぜか、今から思えば一日が長かった。

思いっきり笑っていた。

駆けることも苦痛じゃなかった。廊下を走ってよく怒られたっけ。

今から思えば、その頃の先生は今の自分の歳より全然若かかった。

 

 

 

黒板に山頭火の文字を見つけた。

何年も山頭火という名前を忘れていた。

そして、山頭火のような生き方に憧れた自分を思いだした。

地方を巡り、いろんな風景を見て、いろんな人と出会い、詩を書く。

このような生き方をした近い時代の人は山下清かもしれない。

 

 

 

仲田絵美さんという方の写真と文章。

不確かな輪郭の写真と生きることの不確かさ。

いい文章だった。

 

 

階段の踊り場に鏡があって、贈の言葉が。

確かに小学校にはそんな備品が多々あった。

そして、大きな鏡は人から贈呈されるものだった。

 

 

月駅に行く。

ちょうど長い車両の小湊鉄道が入線してきたところだった。

4両。

こんなに長い車両の小湊鉄道を見たのは初めてだった。

最終車両がホームにたどり着かず、車掌さんが運転手さんに、

もうちょっと前へと手で合図をしていた。

ノンビリとした田舎の光景。

 

 

 

 

月駅の前に、森のラジオという作品が展示されていた。

小湊鉄道の詰め所が作品になった空間。

新緑に囲まれて、おとぎ話に出てきそうな光景。

 

 

 

 

 

受信機が置いてあって、ヘッドホンをすると、今の森の小鳥の囀りが聞こえてくる。

昔、千葉市科学館にあったサウンドバムというプロジェクトを思いだした。

音は人の想像力を高める。

 

 

 

いちはらクオードの森近くの地層と鯉のぼり。

自然が創り出す芸術には適わない。

太陽が一番明るいように。

 

 

旧白鳥小学校へ。

ここには市原ぞうの国のアジアゾウ「ゆめ花」が鼻で描いた作品が掲出されていた。

とにかくその絵と文字に吃驚した。

本当に絵をゾウが描いたのか?

ゾウはどのようにして描いたのか?

ゾウには絵心があるのか?

いろんな謎が頭の中を駆け巡る。

 

 

 

 

 

https://www.youtube.com/watch?v=c6SQ7wT0Wfc

 

 

小学校で使用されていハンコがあった。

ハンコを押されたものはなんとなく神聖なる雰囲気、公式感があったことを思いだした。

金賞、銀賞。

 

公民館では中井精也の写真展をやっていた。

小湊鉄道がいろんな風景を作り出している。

一瞬の輝き。その瞬間。

 

 

 

 

飯給駅へ。

 

 

ここには駅前にトイレのアートが展示されている。

なんの変哲もない駅がアートによって人が集まる。

 

 

開放的なトイレ。

人は自然に還る。

 

近くの水田からはカエルの合唱が聞こえてくる。

 

ちょうど駅に小湊鉄道が駅に着き、数人のお客さんをおろし、

養老渓谷の方へゆっくりと進んでいった。

 

 

 

市原湖畔美術館へ。

カールステン・ニコライ:Parallax パララックス展が開催されていた。

 

視覚の錯覚。

暗闇の中で、広い空間に居るかのような感覚。

身体が宙に浮いたような。

デジタルアートで体感できる身体の浮遊感。

 

 

2日目

 

昨日回りきれなかったところに行こう。

今年のゴールデンウイークは天候に恵まれている。

春の太陽が生命の息吹をさんさんと照らす、美しい日。

生命の力を感じさせ、生きることの素晴らしさを感じさせる日。

 

 

五井駅の小湊鉄道の本社へ。

入ると、宿直室があって、布団が敷かれていた。

 

 

 

 

 

 

小湊鉄道の100年の歩み。

 

ちょうど五井駅から一両編成の列車が出発をするところだった。

 

 

 

 

牛久、内田エリアへ。

昭和41年に移転した内田小学校へ。

木造校舎がいい味を出している。

多くの刺繍の蝶が舞っている。

 

見ていて小泉八雲の蝶という文章を思いだした。

日本人は蝶を人として見做す。

確かに

番いでひらひらと舞うモンシロチョウを見て、恋人たちの愛を紡いでいる姿を想う。

 

 

 

 

畳でできた手帳カバー、財布の肌触りが良かった。

 

 

 

高滝湖のイチマルへ。

カラフルなトタンの小屋がならんでいる。

サーカスのような、空間。

そこには人々の微笑みどことなく儚さと。

 

 

 

足湯は残念ながら休業中。

この移動式足湯のアイデアは面白い。

 

あそうばらの谷へ。

タイガー立石が住んでいた民家。

 

 

 

 

養老渓谷の近くで鳴いている鳥なのか?カエルなのか?

クロクロと特徴がある声で鳴いていた。

 

最後は旧月出小学校へ。

途中の道に山藤の可憐な紫の花が見える。

今の時期に山に彩りを添える色。

 

 

 

来年も行こう。

天気がよければ。

 

 

| アート | 06:08 | comments(0) | - |
本のメモ ハーバード・G・ポンティング 英国人写真家の見た明治日本

1900年初期の日本。そこは、この世の楽園。

1902年から1906年までの間、通算約3年日本に居た著者。

その時代は北斎も広重が生きていた時にまだ近い時代。

亡くなってから50年強。

その間に、日本は大政奉還とし、西欧化が進行したが、恐らくまだ北斎、広重が

いた江戸時代の空気が残っていたのだろう。

そして、画家たちも描いた優美な富士は、明治になり、大正になり、そして昭和、平成の

時代になっても崇拝され続けている。

 

鳥居は確かに心に感銘を与える建造物。

キップリングは鳥居はヒンズー教に由来すると主張している。

 

保津川の急流

突き出した岩の上で、釣り人がたった一人で日除けの蓑を着て、

鍔の広い菅笠を被って立っている姿を見かけたが、それは人間というよりも

風景の一部にふさわしいような感じ。

北斎の絵、そっくりであった。

 

富士の裾野

吉田の町へ近づくと、ちょうど富士の裾野で大きな軍事演習が行われている

最中だったので、町中に兵隊が溢れていた。それは1903年のことで、

日本は国を挙げて、来るべきロシアとの戦争の準備をしているところだった。

 

フジ

バチュラーの意見。フジはアイヌの火の女神の名。

 

日本人の人生

このような地上の楽園に住んでいるのだから、他の多くの国の人々に比べて

一層甘美な人生に違いない。

 

 

富士の山頂で荒天にあい、数日間山小屋に閉じ込められた時に共にしたのが

ラフカディオ・ハーンの「怪談」だった。

たまたま、改めて怪談を読もうと購入したばかりだったので、シンクロニシティを感じた。

| - | 20:49 | comments(0) | - |
4月30日 日曜日

小春日和というより、初夏の日差し。

夏はもうすぐそこにある。

 

車を出して、都内まで。

ゴールデンウィークの中日ということもあって、都心に向かうときも、都内を走っている

ときも、ともに道は空いている。

 

靖国神社へ。

ここに来るのは、現在関西で施設に入っている祖母と一緒に小学生時代に来て以来かもしれない。

その頃祖母も関西に住んでいて、わざわざ東京まで来たはずで、祖母のたって願いで靖国神社に来たはず。

その時も、遊就館があって、祖母と一緒に観覧した記憶がある。

若くして亡くなった戦神の遺書を見て、子供ながらに痛ましく、またその時代の酷さを感じた。

 

銀杏並木の参道を歩く。

抜けた空に映える道。

 

 

壮大な鳥居と神門。

 

 

 

遊就館へ。

重厚なSLが展示されている。

 

 

遊就館所蔵「甲冑武具展 ― 戦国時代-江戸時代 ―」が開催されていた。

 

 

秀吉が好んだという、黒漆塗兎耳形兜鉢

兎は足が速いという縁起からできたもの。

 

 

安土桃山時代の甲冑。

よく当時ものがいまの世に残っているものだ。

それだけで関心をする。

 

 

常設展には、多くの靖国の神々が祀られている。

小学生の時に見たときのおどろおどろしさは無くなっていた。

戦時から月日が流れたからか。

若い人たちの勇ましい顔。

ふとその人の亡くなった場所を読めば、インドネシアの文字が。

私が去年の9月まで居たあの地でも多くの人が亡くなっている事実、そのこと噛みしめる。

あの地で見た、ジャワの島の海に向かって設置されていた錆びついた砲台、日本軍によって

作られた湿っぽく淀み、蝙蝠が住み着いていた洞窟。そこに多くの日本人が戦争という有事に居て

活動をしていた。

 

遊就館を出れば、相変わらず澄んだ青い空があって、そこは穏やかな休日があった。

 

その後、昭和館に行き、高橋春人のポスターを見る。

 

 

時代を映すポスター。

戦前は国威発揚の内容、そして焦土と化した東京のスケッチを描いてまわり、

戦後は復興へ向けた助け合い、日本赤十字の共同募金、

そしてスポーツの祭典パラリンピックへ。

時代が平和になっていくことがよく分かる。

 

その後、青山スパイラルへライゾマ10。

ライゾマの10周年企画展。

 

 

 

表参道を少しばかり歩く。

 

 

 

 

車が少ない東京はどこかゆとりを感じさせる。

 

表参道ヒルズで、写真家・奥山由之による写真展「君の住む街」。

女の子たちが淡い景色のなかで、淡く居る。

 

 

 

 

 

 

展覧会会場にコンビニを模したショップがあって、そこはこの写真展のカタログだけが

販売されていた。

店員さんもコンビニのようなユニフォームを着ている。

面白い。

 

同潤会アパートもなくなって、

学生の頃にちょっとだけたずさったシャンゼリゼ会の事務局の女の人も亡くなって、

でも街は変わらずにあり、人も居る。

気がつけば自分が歳を重ね、笑顔で表参道を闊歩する若い子たちを見て、

人は入れ替わっていくということを認識する。

 

| 日常 | 16:44 | comments(0) | - |
本のメモ 永井荷風 つゆのあとさき

1931年、昭和6年の作品。

昭和6年。

今より小さい東京で、都電が縦横無尽に走り、そして小さい町名、坂の名前が多くででくる。

市ヶ谷本村町、四谷左門町、赤坂一ツ木、塩町、三番町、尾張町、荒木町、富士見町、小石川諏訪町、新見附、木挽町。

世田谷勝昌寺の近くに茶畑があり、まだ郊外だった頃。

 

カフェの女給が闊歩する銀座の町。

時代の空気。

 

銀座通りが、

震災後も日に日に変わっていく今日の光景とを比較すると、唯夢のようだというより外はない。

西洋文明を模倣した都市の光景もここに至れば驚異の極、何となく一種の悲哀を催さしめる。

この悲哀は街区のさまよりむしろここに生活する女給の境遇について、更に一層痛切に感じられる。

 

自由な空気と悲哀が同居している入梅した頃の若い東京。

40代ですでに歳をとっている時代。

 

 

| | 08:14 | comments(0) | - |
本のメモ 百田尚樹 海賊とよばれた男

宴会の席でベトナムから日本に一時帰国をした人間が、やっぱり読むべきですよ

と言われて、読むことにした本。

仙僂粒┐鮟亳美術館に行ってみた時のことを思いだした。

 

その絵を観たときの驚きというものは無かった。

指月布袋画賛。

月は悟り、それを指す指は経典。

 

堪忍柳画賛

気に入らぬ風もあろう柳かな

 

うらめしや わがかくれ家は雪隠か 来る人ごとに紙おいていく

 

 

 

俯仰天地に愧じない行動をとり続けた主人公の鐵蔵。

その信念は日本という国をよくしようという大局観を持った視点。

 

1853年、ペリーが来航をして通商条約を要求したのは捕鯨船の補給基地が欲しかったから。

ランプの燃料は当時は鯨油を使用していた。

ドレイク大佐が油田を掘り当てたのは1859年。

もしドレイク大佐が油田を発見するのが早ければ、ペリーは来航しなかったかもしれない。

そうなれば明治維新はどのような形になっていたのか想像がつかない。

まさに石油の一滴は血の一滴。

石油が日本にあれば大戦の結果も変わっていたはず。

 

| | 17:46 | comments(0) | - |
本のメモ 指南役 テレビは余命7年

・徹子の部屋が色あせないのは疑似生放送だから。

大橋巨泉のクイズダービーも一緒。

・深夜番組が増えるにつれ、制作会社が急増した。80年代末から。

・CM前の「フリ」、90年代初頭に日本テレビが発明したもの。

広告代理店から転職した人材が生み出した。

・なぜテレビ誌を買わなくなったのか?単純な話、連ドラを見なくなったから。

・実はテレビを世界に先駆けて発明したのは日本。1926年、大正15年

・1940年。昭和15年には街頭テレビは存在した。

・作り手に志があれば、必ずやその思いは視聴者に伝わる。

 

・幕末をペリーの黒船来航を起点とすると、

井伊直弼が暗殺されたのは7年後、15代将軍が大政奉還したのが14年後。

地デジの7年後、2018年にテレビの威信を失墜させるなにかが起き、2025年後にまた

何かが起きるのではないか。

| | 20:00 | comments(0) | - |